牧師を養成する機関である神学校。みなさんはあまり神学校についてご存じないと思います。どんなことを学ぶのか? 在学期間はどれくらいか?卒業資格は? など、いろいろなご質問を受けます。このブログで、神学校のことをいろいろとご紹介いたしたいと思います。
ルーテル福音キリスト教会の神学校のカリキュラムは、通常6年間となっています。もちろん、個人に与えられた賜物、聖書の知識や経験などによって、在学期間はそれぞれに異なる場合があります。前半の3年間を予科コース、後半3年間を本科コースと呼んでいます。本科コースの2年目に、担当牧師の監督の下で実習を1年間行います。
さて、その予科コースですが、予科コースは大工さんにたとえると「道具の使い方を学ぶ」期間と言えるでしょう。特に一年目においてもっとも重きが置かれるのは、#ギリシア語 の文法の習得です。ギリシア語を学ぶことで、ギリシア語で書かれた新約聖書を深く、詳しく、正確に読み取り、学ぶことができ、神の言葉である聖書を正しく伝え、正しく教える牧師職に欠かすことのできない道具となります。
ギリシア語といっても、現代で使われているギリシア語とは少し異なる「コイネイ・ギリシア語」を学びます。しかし、ギリシア人の方にギリシア語の聖書を読んでいただいた感想を聞いたときに「大体分かる」とおっしゃっていたので、大幅に変わるものではないかと思います。
とにかく、ギリシア語の勉強は大変でした。神学校の一日目、その日の夜は帰宅時の車の中から、寝る直前までギリシア語から離れられなかった記憶があります。人生の中でこんなに勉強したのは初めてと思えるほど、食事以外の時間は勉強でした。一日目に、ギリシア語のアルファベットの大文字、小文字を覚えることはもちろん、発音もできるようにしてくるという宿題が出されたのです! 神学校の最初の一週間、夜寝ている時もギリシア語の勉強をしている夢を見てしまったほどに、ギリシア語漬けでした。最初の一週間の学習が終わった瞬間、ガッツポーズがでるほどの充足感と達成感があったと同時に、こんな勉強を六年間も続けられるのかという不安もよぎりました。
ギリシア語の学びの大変さは、約700の動詞の変化を覚えるといえば分かっていただけるのではないでしょうか。いつも、動詞の変化表、単語帳は肌身離さず持っていました。車のエアコンのautoという文字を見ても、英語読みの"オート"ではなく、ギリシア語読みの"アウトォー"と発音してしまうほどに、頭の中はギリシア語でいっぱいだったと思います。しかも、テストは95点以上を要求されました....文法的には、自分の母国語である日本語よりも正確に知っているのではないかと思えるほどに、身につけていくことができたと感じます。
神学校に入って「勉強する」ことが仕事のようなものだったので、真剣に取り組みました。ギリシア語を習得することはもちろん、聖書を研究する、学ぶ、調べる、読む、ということにこれほどに真剣に向き合うという姿勢を学んだと思います。
ギリシア語の学びに重点が置かれていたので、他の勉強は一般教養のようなものでした。ピアノもピアノの先生をつけていただき学ばせていただきました。ピアノなんてひいたこともなかったので「何か楽器をやったことはありますか?」と尋ねられ「ギターなら少々」と答えると、コードでピアノをひく方法で教えていただきました。ピアノの学びも英語が多かったので、「ドレミ」ではなく「CDE」と言われないと鍵盤を押すこともできませんでした。ピアノの授業は、ちょっとしたブレイクのようでした。
コンピューターのクラスもあります。当時、ウィンドウズ95が主流で、今では考えられないHDの容量が1ギガのパソコンが与えられました。パソコンは失敗と故障を繰り返しながら、いろいろと学んでいきました。それにしても宣教師の先生方には、パソコンのエキスパートがいらっしゃり、牧師の勉強の他にもパソコンについても学んだという意欲とエネルギーに驚きました。
また、英語の学びもあります。というのは、教材やテキスト、資料の多くは英語で書かれたものだからです。また、アメリカの母教会、世界中の姉妹教会とのつながりを考えると、英語力も必須なのです。
まだ一年目には聖書の書簡の学びはコリントの手紙ぐらいで、聖書の概覧の学びが中心でした。信条書などの勉強はぜんぜん分かりませんでした。
クリスチャンホームで育ったわけでもなく、キリスト教の専門教育の大学に行っていたわけでもなく、クリスチャンとしても長年のブランクのあった自分には、とても高いハードルをクリアしていかなければいけない毎日でした。
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